2012年1月28日

企鵝罐裏資料雜等

企鵝罐裏資料雜等

如題

アイキャッチの路線図
•3話から並走しはじめた他線が、5話Bパートで合流
•7話Bパート~8話あたりから接近してきた他線が、9話Bパート付近で並走しはじめ、13話Bパートで合流
•14話Bパートで分離した支線が、17話Bパートで本線を横切ったのち20話付近まで並走して離れる
•15話Bパートで分離した支線が並走し、21話で本線を横切って離れる
•16話Bパートから、それまで右上へ向かっていた本線が真上方向へカーブ(丸ノ内線の銀座・東京付近に相当)
•20話から、真上へ向かっていた本線が左上方向へ再びカーブ(丸ノ内線の御茶ノ水・本郷付近に相当)
•22話Bパートから、左上へ向かっていた本線が真左方向へ再びカーブ(丸ノ内線の後楽園付近に相当)


<解釈>
•丸ノ内線とその支線・日比谷線・千代田線という、3つの被害路線で地下鉄サリン事件を暗示しているとする説。
•本線を高倉三兄妹とし、分岐や合流は他キャラクターのとの関連を表して、物語の展開とリンクしているとする説。
◦3話で高倉家を初訪問し、5話で生存戦略イリュージョンへも本格的に絡みはじめた苹果
◦9話で初登場し、13話で現実世界の高倉兄妹と接触を持ちはじめた眞悧
◦15話を最後に、高倉家(晶馬)や苹果との直接接触が無くなるゆり
◦16話の「私はその列車には乗らないわ」で進むべき方向性を分かつ真砂子
◦17話の多蕗の復讐開始で、それまで表面上の平穏を保っていた高倉家に新たな局面が訪れる
◦17~18話の間で本筋とは離れて交差している支線同士は、ゆりと真砂子の対決
◦18話でゆりが多蕗を拾って、二人は以降の物語本筋から離脱
◦20話で陽毬の運命の人が晶馬だった過去が判明し、物語はさらに今までとは異なる局面へ
◦21話で真砂子と陽毬が接触を持ち、冠葉を止めようと話し合うが、次回で負傷し再び真砂子は離脱
◦23話で地下鉄のミッションが開始され、物語は最終局面へ


--------------------------------------------------------------------------------



TSM荻窪線
TSM為東京架空地下鐵(Tokyo Sky Metro)的簡稱,是本作人物的最主要交通工具。
95年事件後,在十年前重建而成,設計有如架空纜車,路軌設於上方。
原型為東京地下鐵公司丸之內線。
路線自東京都豐島區的池袋站至杉並區的荻窪站;另外有自中野坂上站分出的支線。

盒子,標籤,外來評論,失去自我意識
日常:生活小物,吃飯,咖哩,跟家人一起吃,再家裡吃,時間[時鐘],裝飾
結果從第一話晶馬穿的衣服到第四?第五集都變成是蘋果在穿...
高倉家的布偶,蘋果家的父母布偶

社會,人群,人本身,利己性的規則
為了存活下去的可能,生存戰略[生存的意義]
活著向最愛的人傳達話語

被詛咒的火焰燃燒 從世界的風景消失[價值觀改變]
玻璃的破片深入內心所帶了的傷害,變得赤裸

德到了真正的光
企鵝本身也代表還活著的意思

ポスト『まどマギ』!? "アニメ界の小室哲哉"が放った力作『輪るピングドラム』を再考

一時期、ブログのエントリや掲示板の書き込みで、「生存戦略」という耳慣れない四字熟語を目にしたことはなかっただろうか? なんでもコレ、進化論の用語で、動植物が生き残るために、種としての最適な行動をとることを指す言葉らしい。こんな専門用語がどうして急に広くネット上に出回り始めたのか。答えは簡単、昨クールのNo.1アニメ『輪るピングドラム』(TBS系)という作品に登場していたからである。

 この『輪るピングドラム』を送り出したのは、「アニメ界の小室哲哉」という異名もある(らしい)、イケメンカリスマアニメ監督・幾原邦彦。『美少女戦士セーラームーン』シリーズの中でも、随所に漂う耽美的な雰囲気からファン人気の高い『美少女戦士セーラームーンR』『美少女戦士セーラームーンS』や、天井桟敷などのアングラ演劇的世界観をアニメに導入して高い評価を得た『少女革命ウテナ』などが代表作だ。

 本作は、幾原が映画『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』以来、12年ぶりに送り出す完全新作オリジナルアニメーションとして、作品内容の情報露出がかなり絞られていたにもかかわらず、放送前から大きな期待を集めていた。そして、実際にフタを開けてみても、コミカルな味わいもありながら、スリリングでドラマチック、それでいてハートフルな物語と、ピクトグラムなど象徴的な表現を巧みに盛り込んだ先鋭的なビジュアルが同居する、現在のアニメシーンにおいて唯一無二の存在感がある作品として話題を集めた。「生存戦略」という言葉がネット流行語になるのも、むべなるかな。

 物語の中心となるのは、冠葉・晶馬・陽毬の高倉三兄弟妹(きょうだい)。長患いの果てに病気で命を落としたはずの陽毬が、奇妙なペンギン帽子に宿った力で生き延びた代わりに、冠葉と晶馬は「ピングドラム」という正体不明のアイテムを探し求めることになる。

 ピングドラムの鍵となるのは、荻野目苹果という少女が持つ、彼女の死んだ姉・桃果の日記帳。それを奪い取ろうと画策する人物が次々に現れ、多様な思惑が複雑に交錯する。中盤には、すべての登場人物が、過激派テロリスト集団によって1995年に起こされた地下鉄爆破事件(当然ながら、これはオウム真理教による地下鉄サリン事件を想起せずにはいられない)になんらかの形でかかわっていたことが明かされ、さらに物語は複雑さを増す。過去と現在が交錯しながら、クライマックスへ向けて物語が集約されていく展開は圧巻だ。

 また、作中に散りばめられた、物語を読解する補助線となるような要素も魅力的だ。登場人物の名前(「カンパ(ネルラ)」=「冠葉」、ジョバ(ンニ)=「晶馬」)を始めとする宮沢賢治作品を想起させる要素、ロックバンド・ARBの女性ボーカルユニットによるカバー楽曲などが、多様な読解を可能にする深みを作品に与えていた。ARBのカバー曲を全収録したミニアルバム『トリプルH』が2万枚を超える売り上げを記録し、現在も数字を伸ばし続けている。

 阪神大震災以来となる3・11の震災や、元・オウム真理教の平田信の自首などで、忘れかけていた95年の記憶が強烈に日本社会全体で思い返されている昨今。また『魔法少女まどか☆マギカ』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のヒットで、原作のないアニメオリジナル企画に注目が集まってもいる。放送は終わったものの、まだまだ『輪るピングドラム』は同時代的なインパクトを持ち続けそうだ。未見の人は是非チェックしてみてほしい。
(文=麻枝雅彦)

(過去)
高倉の両親に選ばれたのは冠葉だったが、運命の林檎(=ピングドラム)を晶馬に分けた→晶馬生存
ネグレクトでブロイラー送りになった陽毬に晶馬が(同上)を分けた→陽毬生存

(運命の至る場所)
晶馬、冠葉に林檎を返す
冠葉、陽毬に林檎を渡す→消滅
苹果が乗り換えの呪文を使うが、呪いの炎は晶馬が肩代わり→消滅

(書き換え後の世界)
冠葉が死亡=陽毬は生存
晶馬が焼かれた=乗換の呪文は成功した
乗り換えの犠牲と呪いは確定事項なので、陽毬は一人残される

ただし乗り換えが成功しているため、陽毬が受ける筈だった「罰」は消滅。
失われる命は最初失われる筈だった晶馬の分だけ確定、つまりピングドラムは一人分残る
最終的に冠葉と晶馬はそれを分けて、書き換え後の世界では半分の命(=子供)に
一人になった陽毬には、命を捧げて運命を変えた対価の「苹果」が残った


1.冠馬が晶馬に命を半分渡す→冠馬0.5 晶馬0.5
2.晶馬が陽毬に命を半分渡す→冠馬0.5 晶馬0.25 陽毬0.25
3.冠馬がプリクリモードの陽毬に命を半分渡す→冠馬0.25 晶馬0.25 陽毬0.5
4.晶馬が冠馬に命を全部渡す→冠馬0.5 晶馬0 陽毬0.5
5.冠馬が陽毬に命を全部渡す→冠馬0  晶馬0 陽毬1

輪るピングドラム 感想『輪るピングドラム』全24話一挙にみました。傑作であると同時にまぎれもない「3.11」以降の作品であると確信しました。圧倒的な感銘を受けたので、この興奮を忘れないうちに急いでメモします。(ネタバレを含むたんなる個人的な感想です。)
『輪るピングドラム』公式サイト: http://penguindrum.jp/




まず最初に、全話を観終えて感じたことをおおまかにまとめておくと、この作品が最終的にやってみせたこと、それは、宮沢賢治(彼の作品への明示的な参照がこの作品の特徴。)の自己犠牲の思想をひとつの拠り所にしながらそれをさらに独自のやり方で展開して、運命あるいは「この理不尽と不公平の世界」(冠葉、#23)に対してカルトに陥ることなくいかに立ち向かうか、という古典的であると同時に今日的な問いに一つの回答(「生存戦略」)を示すこと。

生存戦略にとって欠かせない「ピングドラム」とは一体何だったのかというとそれは、相手に分け与えるために分割された半分のリンゴのイメージで想起されるもの。ちなみにリンゴとは「宇宙そのもの」(#1)でありこの私の「命」(晶馬、#24)を表すとされるので、そのリンゴの半分、すなわちピングドラムとはこの私の命、この私が私であることの根拠となる核を相手に分け与える前提となるもの。

生存戦略とは要するに(とりあえず結論的なことを先に書くと)、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルが「イマジン!」(想像せよ!)という決め台詞で命じるように、まずは想像すること。何を想像するかというと、この私が私であることを保証する核、私の「命」であり「宇宙」であるところのものを、あなたに分け与えること。それは言い換えると、「選ばれたのはこの私ではなく、あなただった」という、現実には起こらなかったもうひとつの可能性を想像すること(選び取ること)。「生き延びたのはこの私ではなく、あなただった」あるいは「あの時死んだのはあなたではなく、この私だった」と想像すること。

「運命の果実を一緒に食べよう」という呪文とともに、自らのピングドラムを相手に譲り渡すことは「運命の乗り換え」を引き起こすとされるが、それはすなわち、この生存戦略を通じて一つの価値転換がはかられるということ。運命の乗り換えを行うと「世界の風景が変わってしまう」(桃果、#15)といわれるが、それは、価値転換にともなう変化を表現するひとつの比喩でもある。

「ひとつの運命が変わると世界の風景が変わってしまうの。だけどみんなは変わったことに気付かない。でも私だけは体ごと覚えている。」(桃果、#15)また他方で、「運命を乗り換える呪文を使うと罰を受けるんだ」(桃果、#15)と桃果が言うように、私のピングドラムをあなたに分け与える生存戦略は、リスクをともなう。私の命、私が私であることを保証する核の半分を相手に譲り渡すのだから当然のこととも言える。自分のピングドラムを相手に譲り渡すことの代償、それが罰ということの意味。(これがなぜ「罰」とタームで呼ばれるのかは、後で触れる「呪い」とも関わる。)

以上のことを踏まえた上でこの作品が最後に訴えかけるのは、私があなたにピングドラムを分け与えるというこの生存戦略は連鎖を生み(私からあなたへ、あなたから誰かへ・・・)、必ずや一つの輪となってつながるだろうという希望。これがこの作品のメッセージであり、「輪るピングドラム」というタイトルそのものでもある。

ピングドラムが堂々輪るということは、私があなたに分け与えたピングドラムそれ自体もまた私が誰かによって分け与えられたものであるということを示唆するのであり、

「つまり、りんごは愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」(#24)という台詞の意味はまさにそれ。これはさらに言えば、この私が私である根拠そのものが、自分が初めから持っていたものではなく、与えられたものだということを意味する。

まとめとして、晶馬の台詞を引用。ここで晶馬が用いるフレーズは早い段階で作品のキャッチコピーにもなり公になっていたもので、作品を最後まで観終えてようやくその意味が分かるという代物。

「返すよ、あの日兄貴が僕に分け与えたもの、僕にくれた命。僕たちの愛も、僕たちの罰も、みんな分け合うんだ。これが僕たちの始まり。運命だったんだ。」(晶馬、#24)

この作品、『輪るピングドラム』はまぎれもなく、3.11以降という日本の今日的状況においてこそ読まれるべきものであって、「運命の乗り換え」という価値転換を迫るこの問題意識は、今日を生きる僕たちにとって切実な意味合いを持つものだと思います。こうした希望と理念を果敢に語ってみせたこの作品に心から拍手を送りたい気持ちです。最終回を観た後、宮沢賢治のいくつかの作品をふと思い返すと、涙が止まりませんでした。(やや大げさですが実際の気持ち)

「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように」 (宮沢賢治「烏の北斗七星」)「ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」 (宮沢賢治「銀河鉄道の夜」)


いったん区切りをつけて、ここからはもうひとつの生存戦略、すなわち、地下鉄テロで多数の市民を無差別に殺傷した過激派テロ集団ピングフォース(後身の企鵝の会)が「世界を取り戻す」(眞悧、#16)ために取る戦略について書きます。この眞悧率いるテロ集団をめぐる箇所がこれまた素晴らしくて、この作品を傑作にしている重要な要素のうちのひとつだと思います。

先に結論的なことを書いておくと、眞悧たち急進派が選ぶ生存戦略とは、間違った世界を正すために、世界をトータルに否定することを通じて、ふたつのものを隔てる境界そのものを破棄しようという方向を目指すもの。世界に存在するものが"選ばた者/選ばれなかった者"というふたつのものに分け隔てられてしまったこと自体を問題視することであり、それは究極的には、"私/あなた"という非対称な二者の関係そのものを「呪い」とみなす態度へと繋がっていく。つまり、「世界を取り戻す」という言い方がすでに前提としているように、彼らにとっては、取り戻すべき本来的な世界の姿がある。それは世界に存在するものが二つに分け隔てられる以前のもの。原初にあったはずの満ち足りた一者。人間を「自分という箱」に閉じ込められたものに譬えて、箱そのものの破壊を唱える眞悧の態度(後で引用)にみられるものは、言うまでもなくあの「人類補完計画」の系譜に連なる想像力(出来損ないの群体として行き詰まった人類を単体生物へと進化させる、という発想。言い換えれば、自己と他者を隔てる壁さえ撤廃すれば、言葉のいらない理想的で透明なコミュニケーションが実現でき、誤解も齟齬も憎しみもなく人は分かり合えるとするある種のユートピア志向の想像力)であり、まさにもうひとつの「95年」(エヴァのTVシリーズ)の呪縛でもある。「幽霊」(眞悧、#23)のようにたえず回帰しては人に憑り付き離れないこの想像力との対決、というのが『輪るピングドラム』という作品のもうひとつの大きな柱となる。

対決とはいっても、勧善懲悪式に眞悧らの想像力を退ければ済む話では当然なく、最終話のラスト近くで眞悧の幽霊は再び回帰して現れ、

「君たちは決して呪いから出ることはできない。僕がそうであるように。箱の中の君たちが何かを得ることなどない。・・・」(眞悧、#24)という呪いの言葉を改めて余韻として残す。


話を戻します。世界はつねに"選ばれた者/選ばれなかった者"の両者を生み、「選ばれないことは死ぬことなの」(陽毬、#20)という現実を突きつける。(社会のレベルでは、"持てる者/持たざる者")。「そのふたつを分けるライン」(ゆり、#14)は理不尽にもあらかじめ決定されている。

世界に存在するものが非対称な二つのものに分かたれ、両者が勝敗のすでに決まったゼロサムゲームで奪い合った挙句に片方が死滅するというこうした世界(あるいは社会)を間違っていると激しく糾弾するのが、テロリスト組織・ピングフォース。

「この世界は間違えている。勝ったとか負けたとか、誰の方が上だとか下だとか、儲かるとか儲からないとか、認められたとか認められないとか、選ばれたとか選ばれなかったとか。奴らは人に何かを与えようとはせず、いつも求められることばかり考えている。この世界はそんなつまらないきっと何者にもなれない奴らが支配している。もうここは氷の世界なんだ。」(高倉剣山、#20)「この瞬間にも大勢の子供たちが透明にされている。それを放置しているこの世界は間違っている。だから我々は・・・。」(高倉剣山、#20)「真に純粋な生命の世界は利己的なルールが支配している。そこに人の善悪は関与できない。つまり、もう何者もこの運命を止められないのさ。」(眞悧、#24)「この世界は、我欲に満ちた者たちが作ったルールに支配されている。」(高倉剣山、#21)以上の台詞とは、ややニュアンスを異にするのが以下に引用する台詞の数々。例の想像力が顔をのぞかせる。

「人間っていうのは不自由な生き物だね。なぜって?だって自分という箱から一生出られないからね。その箱はね、僕たちを守ってくれるわけじゃない。僕たちから大切なものを奪っていくんだ。たとえ隣に誰かいても、壁を越えて繋がることもできない。僕らはみんなひとりぼっちなのさ。その箱の中で僕たちが何かを得ることは絶対にないだろう。出口なんてどこにもないんだ。誰も救えやしない。だからさ、壊すしかないんだ。箱を、人を、世界を。」(眞悧、#23)「世界はいくつもの箱だよ。人は体を折り曲げて自分の箱に入るんだ。ずっと一生そのまま、やがて箱の中で忘れちゃうんだ。自分がどんな形をしていたのか、何が好きだったのか、誰を好きだったのか。だからさ、僕は箱から出るんだ。僕は選ばれし者。だからさ、僕はこれからこの世界を壊すんだ。」(眞悧、#23)「今こそ取り戻そう。本当のことだけで人が生きられる美しい世界を。これが我々の生存戦略なのだ。」(高倉剣山、#20)


いったん力尽きたのでまた改めて書き足します。

沒有留言:

張貼留言